7色の虹と、3人の海賊。

藤 井 流 星 ! 上 田 竜 也 !

初めて会えてから1年 な話。

 

 

 

2016年1月13日。

 

 

 

この日は、私の長い学校生活の中で1番ワクワクして、ソワソワして、時計を何回も見た日だったと思う。

 

 

 

「流星に、やっと会える!」

 

 

 

流星のことを好きになったのは2015/2/19。

 

ほぼ1年間、私は画面越しの『 藤井流星 』を好きでいた。

 

本当に楽しみで楽しみで、これまでやったことがなかったような「あと○○日!」なんていうカウントダウンのアプリも入れてみちゃったりして、でも実感が湧いているようで湧いていないフワフワした日々を送っていたことを覚えている。

 

 

 

1年前の私と今の私。

 

流星のおかげで知り合えた、出会うことがなかった確率の方が高いフォロワーさんたち。

 

流星のおかげで見ることができた、たくさんの景色。

 

流星のおかげで知った、新しい私。新しい知識。新しい感情。

 

全てが今の私に繋がっていて、全てがこれからの私を作っているんだと思う。

 

 

 

私はたくさんいる流星のファンの内の1人だし、その中には私よりも何年も長く流星の事を見てきた人がいる。

 

私は今年でやっと3年目になるという短い担歴だし、流星が1番苦しかったであろうデビュー当時も知らない。

 

それでも、これからの流星をファンの1人として支えて、そして好きでいたいなぁと思うし、流星担として流星の評判を落とすようなファンにはなりたくないと思う。

 

 

 

クリスマス、京セラで堪えられなくてお仕事で初めて泣いた流星の姿をみて、普段は涙腺が強めで全然泣けない私が流星の姿が見えないぐらい泣いた。

 

辛かったんだなぁ、頑張ったんだね、諦めないでいてくれてありがとう。だから今私はこんなにも素敵なあなたのことを好きでいられるんだ。ありがとう。

 

 

 

1年前の自分より、確実に流星の事を好きだと自信を持って言える。

 

そして、毎日「好きだ!」と思わせてくれる流星の、私の中での存在の大きさに自分自身で驚かされる。

 

 

4月から私は大学生になる。

 

環境が大きく変わるからこの先どうなるかはわからないけれど、これからも私の中での世界一キラキラしていて世界一カッコいいアイドルが藤井流星でありますように。

 

私の高校生活を、部活で辛い時も、楽しい時も、どんな時も支えてくれてありがとう。そして、これからもよろしくお願いします。

 

 

 

今年はまず2/15.16の名古屋 ガイシホール公演!卒業式の3日前と2日前!高校生活ラストのたくさんの幸せをもらえますように!♡

 

そして、2017年。流星がたくさん活躍できますように!!

 

 

 

久しぶりのブログ更新。ここまで読んでくれたみなさん、ありがとうございました!

KAT-TUN 10周年 な話。



華々しく。そして衝撃的。これまでにはなかったようなグループ。

10年前の今日、2006年3月22日にKAT-TUNはデビューした。

小学1年生を終えたばかりの私はまだ舌打ちというものができなくて、必死に練習していた記憶がある。(ガラ悪すぎ)

2009年8月13日、母親に連れられはじめてKAT-TUNのコンサートに行った。赤西がサングラスを外して興奮していたらグラグラしていた歯が抜けた。(ガチ)

こんなわけで、沸いてる時も冷めてる時も、KAT-TUNが隣にいながら成長してきた私の素直な気持ちをここで綴らせてもらおうかな、と思う。


衝撃的なデビューで、KAT-TUNは6人の頃ものすごくトップにいたグループなんだと思う。何しろ小学生の頃の記憶がほぼほぼないからわからないのだけど。

1番それを感じる例としてMステを例に挙げてみると、昔はシングル披露のときはかなりの確率でフルだったし、カップリングをフルで歌ったこともあるし、1人ずつソロを歌わせてもらうメドレー、なんてこともあった。

そのような特別枠の時に必ずいた人物、それこそが赤西仁だった。

その赤西仁の脱退から2年後の、田中聖の脱退。そして、それから2年経ち、田口淳之介の脱退を目前としている今の状況。

赤西や聖の脱退の時よりショックを受けている自分がいるのには、訳がある。と冷静になった今ちゃんと考えることができる。

赤西と聖の脱退の時、私はショックというよりも「まあ…そうだろうなあ」という気持ちの方が大きかった。

一方、田口に関しては「なんで、じゅんのが。」というショックでいっぱいで、気づいたら涙が溢れていた。


hyphenなら当たり前のように知っている、" じゅんののKAT-TUN愛 "

じゅんのは、メンバーのソロを完璧に歌って踊ることができる。

じゅんのは、KAT-TUNのことが1番最初からずっと好きなただ1人のメンバー。

転校が多かったじゅんのにとって、誰よりも長く一緒にいる友達であり、仲間であり、絆が1番強いのがKAT-TUNのメンバー。


そんな彼が。1番辞めなさそうな彼が。何故?


未だにこれといった理由も、辞めてからの道も、何も示されていなくて私としては発表からかなりの月日がたったけどまだ納得できていなくて。

でも、Myojoの10000字インタビューの『 アイドルという夢を与える職業は僕には荷が重すぎた。ひとりの男として、もっと自由に生きたいと感じたというか…… 』というコメントで結婚したかったのかな。と想像はしている。

そこで疑問なのは、[ 他のジャニタレで結婚してる人はいるのになんで辞める必要があるの? ]というところだが、それはたぶん田口淳之介のアイドル像に反するものだったんじゃないかなあ。……と、まあここまでのものはすべて憶測なんだけれど。



KAT-TUNを去っていった3人を歴史から消すことはしない。恨みもしない。6人のKAT-TUN。5人のKAT-TUN。4人のKAT-TUN。そしてこれからの3人のKAT-TUN。全てまとめてKAT-TUNの軌跡であり、いろんな壁に当たって、その度にKAT-TUNとhyphenは手を繋いで、その壁を乗り越えて。全てのことがあったから今のKAT-TUNがある。そして、その今のKAT-TUN、これからのKAT-TUNを私は愛していこうと思う。


そして、竜也、亀、ゆっち、KAT-TUNを守ってくれてありがとう。


竜也のことを「上ピー」って呼ぶじゅんのが見れなくなるのが本当に辛いし、竜也の不器用さをわかってくれてる人がまた1人いなくなってしまうことが、本当に悲しいけれど、新しい道に進んでも笑顔が素敵なじゅんのでいてください。そして、これからもKAT-TUNのことが大好きな田口淳之介でいてください。


最後に、本当に10周年おめでとう。

結成2周年記念 な話。



2014.2.5 → 2016.2.5

ジャニーズWEST、結成2周年記念日。


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私がジャニーズWESTの担当になったのは今から351日前。

暇で、撮りためていたジャニーズのグループ別にされているMステ集を見ていた時。銀色の衣装に金髪の、「 燃える胸の心意気〜 」を歌う彼を見つけました。

そっからは早いもので、ギュンッッてきた気持ちはとどまることを知らずに愛が増して、友達に相談を経て 藤井流星担当 になりました。

そこからは怒涛のように動画を漁って勉強の日々。メンバー全員の顔を覚えて、名前、性格。知っていくうちに増していく「好き」と、出会えたフォロワーさんたち。

フォロワーさんに恵まれて、新規の私と仲良くしてくれる人ばかりで本当に感謝してるし、本当にみんなが大好きです。


私は、ジュニアの頃を知っているわけでもなければ、4人から7人になった時の感動はDVDを見ていてもちろん感じるけれどずっと彼らを応援してきた人たちとは比べ物にならないほど薄っぺらいものなんだと思う。

こう思うのは、私は過去に11年と半年ほどNEWS担をしていたし、今もKAT-TUNのファン10年目であるからだ。2つのグループに共通するのは何人ものメンバーの脱退。そのあとにファンになった人にはその時の悲しみが伝わるわけないとずっと思ってきたからだと思うし、実際それが正論であるからだ。

本当にあの当時、ジャニスト本人たちや古株であるみんなは辛かったんだろうな、と思うと同時に自分ももっと早くからりゅうくんの存在を知っていたらよかったのにと思う。

それでも、過去に戻れはしない。りゅうくん、神ちゃん、濵ちゃん、重岡、照史くん、淳太くん、小瀧の7人がジャニストでいてくれたから私はりゅうくんに出会えることができたし、好きになることができたし、大好きなフォロワーさんたちにも出会えた。

あの時踏ん張ってくれて、ありがとう。あの時ジャニストを支えていたジャス民の人たちも、ありがとう。

今の私がりゅうくんのことを好きでいられる事に感謝して、これからも彼らを応援していきたいと思う。

結成2周年。本当におめでとう!